占いが好きだから

占いのこと、不思議なこと、スピリチュアルなこと…
カルトゥーシュカードと占星術の占い師 黒田聖光の占いブログ。
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当たり前の生き方
占いの話しではないんですが……
これから紹介する3つのお話は、とある山間の地域に住むお年寄りの方が、私の知人に語った話しです。
お話くださった方々の掲載の許可を頂き、ここに載せます。


毎日が楽しくて仕方がない人、悩みを抱えている人、漠然とした気持ちを持っている人、人生に迷っている人……
どんな気持ちでOKです。ちょっと読んでみてください。


Aさんのお話。

「楽しみねぇ、何か今あるかしら。ここで過ごす時間が長いわね。テレビは、写るのを眺めるの。
歌番組は割りに好きでした。でも最近の歌は知らないし、聞いても分らない。
昔は孫達も子供と一緒に遊びに来たり、そんな時には子守をしていて張りもあったけれどそだっちゃうと、もう婆ちゃんには寄りつかないものです。


今、子供達は帰ってくると、ここも昔に比べて廃れてしまった、若い人は皆居なくなったし、すっかり寂れてしまった、そういうけれども、ずっと賑わいを知らない村落に生まれ、一生そこで過ごして死んでいった人たち、私が生まれて育ったところも、嫁いできたここであっても、私が眼にしたのはそういう人たちだけじゃなかったかしら。
綺麗な服来て、化粧することなんて諦めた、んじゃなく、想像する機会もなかった娘達が一杯生きて死んでいった。
そう、私の若い頃は、自分の生まれた村や町から一歩も出ること無しに一生を終える人の方が多かったと思う。


私の生まれは農家でした。6人の兄妹の長女。え、子沢山?違う、昔は10人子供がいたって少しも珍しくはなかったの。何処の家にも子供は沢山生まれた。貧乏だからって先々のこと、心配などするゆとりもなかったわ。避妊や堕胎のための薬も医者も少なかったし、隣家同士も見えないほど疎らな部落からそんな医者にかかる人なんていなかった。手軽に孕まないように出来たり、堕ろしたりすることができるとかも知らなかった。
父親は頑固で、厳しい人でした。子供達は逆らおうなど思いもつかず、うちの流儀で育ったんです。

家では梨を作っていたんです。父は働き者、というのでしょう。ずっと体を張っての働き尽くめの人だったんです。
女が学を付ける事はない、家を守ってはたらきゃそれでいい。学校に行く必要なんかない。そんな言葉をよく聞きました。いえ、多分、そんなに何回も繰り返し聞いたわけじゃないんでしょうね。元々無口な人でした。茶の間で胡坐をかいて、渋茶を啜りながら、眉間にしわ寄せ、雑音交じりのラジオの天気予報聞いてる姿、そんな姿を良く覚えています。
朝から夕まで働き尽くめの父にすれば、子供がましてや女が、机に向かって教科書読むなんて道楽くらいに思ってたんでしょうし、それは今でこそそんな風に思う父親も珍しいでしょうけど、これも多分当時は、この辺の農家の男にとって、口にするまでもない当たり前の娘の教育でした。

だから小学校出たら、すぐ私も畑に出されて働かされたんです。
今で言う小学校は、昔は尋常高等小学校っていいました。勿論小学校の時分から手伝わされてたから、それだってあんまり出来なかったんです。収穫の季節は通えない日も沢山あったの。だから読み書きだって、あんまりできないし。
流石に、年の離れた一番下の妹が、娘時分になった時は、女も物知らずじゃいけない、って漸く気付いてね。その6番目の娘だけは女学校にいったんです。
この地方の梨は美味しいって、何かテレビで言ってましたが、私はホントかどうかは分らない。他の郷で取れた梨と比べたことなどなかったもの。
広い、広い、梨畑でした。小学校を出ると、その広い畑に出されて、脚立梯子に登って沢山の梨を紙で包んで回るのが私達の仕事だった。
秋には木々から?ぎ取った梨を背負った籃に入れました。そして出荷するとその年は終わり、直に家からでれなくなる冬を前に正月を迎える準備です。


結婚した後も日々は同じように流れました。男と女、父と母は働くもの。働くとは米や野菜や果物を年々植えて収穫すること。そして子をなし、育てること。
豊作もあれば、どうしようもない年だってありました。
それも今振り返ると各年毎の違いなどは小さなこと。
生活に楽しみを見つける、というけれど、楽しみがなくても生きて行けます。社会参加が必要だというけれど、それは農家じゃない学校出た人が思いつくのじゃないのかしら。
楽しみも、社会参加も、個性とやらも土の換りに、学ある人たちが踏みあって立ってる言葉の基から生え出た実なのでしょう、
だけど、それは私達の口には入らない。

ごらんなさいな、今日も梨園には帽子を被って、頬被りして、前掛けをして、軍手を填めて、ものも言わずに黙々と梨をもぎ取り、籃に集めているお上さんやお嫁さん、子供達がいるでしょう。
彼等はずっと黙っているのです。


私も長く生きました。そして誰に覚えられることもなく、何も遺すものとてなく、やがてくるお迎えを待つのです。
参加する社会とかそのための符牒も持つことなく。
でも生きて行くこと、とりあえずは食べて寝ること、働くこと、
それを私は当たり前だと思っています」


Bさんのお話

「わたし、頭弱い子供いるから、まだ頑張っていきなきゃいけねべした
一人だったらこんな広い家住む要なし、ま、ボロ屋だけど、一人じゃ広すぎて
張り合いもなく、とっくにくたばっちまったかもしんね。
子供っていっても、も、はぁ、60になんだ。
A市のBって施設に入ってんだ。
月にいっぺんは電車にのって、遇い行くことにしてんだ。
別に決めてる訳でね。
何もなくて過ごすなんてことねぇがら、そんとぎゃ、施設の先生から電話で呼びだされっぺした。
この間、一緒に買い物さ連れてったんだ、60だきゃんど、は、餓鬼見てく電気屋つれてったらはしゃいで
よっぽど気に入ったんだがしたんだべ、ラジオ見で、も、は、はなさねがらね。
しかたねべし、買ってやったべさ。
7000円のラジオさね。
んで、施設からでっどき、かぁちゃん、ありがとな、ありがとなってわたしのこどさ見送ってたんだべし。
不憫だべ。わたしさ死んだらあの子一人きりだべ。
だからは、死ぬに死ねねだよ。何とかきぃ張って生きでぐべ。

んでもよ、も、流石にぼけてんだ。
一昨日ね。
このコタツさ、こやって座ってだら、うとうとしてほおづえ衝いてた腕がらがぐ、って突っ伏して
眼覚めたんだ。
そしたらよ、そこの戸口がら廊下あるいで、わたしば眺めながら、そのまま階段のぼっでっだ人さいだんだ。
こっちさ見てわらってっださ、寝ぼけたんだべ。
音もしねままかいだんのぼっでっだんだ。
でも若い男の人だっげ。
夢でも見てたんだが、あるいは呆けで化かされたんだべ。
でもさ、若い人だっげ。呆けたんだべ。
いつか、あんな人が見えたらもう長くねがも知んねなァ、はァ.」



Cさんのお話。

「主人と死に別れて十七年経ちました。
それからずっと一人暮らしです。
朝目覚めるたんびにわたし一人なんだ、って思い知らされながら一日が始まる。夜中に起きても一人。
近くの×さん、こないだ亡くなったって、あなたも知っているでしょ。私もつい先日聞いたわ。
死んで一週間くらい、見つけて貰えなかったらしいわね。それで見つけられた時、lこうやって両手、拳握り締めて、体ちぢこめて丸まって布団の上で見つかったって。
私も死ぬときはそうなってしまうのか、誰にも見送って貰えないで死んじゃうのか、って思うと恐ろしいわ

お正月とかで家族連れが稲荷神社に初詣に行くようなそんな場面を見るととても羨ましいです。
誰も居ない。私は誰にも応えてもらえないから、時々頭の中で反芻しているのか、自分の声で口にしているのか
分らなくなるの。

だからなんだっけ、最近のなんとか詐欺とか布団の押し売りみたいなので、時々ものすごいお金なくしちゃう人の気持ちも私、何か分るんです。そりゃ一人で暮らしてる所に若い人がきてくれて、話してくれるなら、嬉しいですもの。お金なくしちゃった人だって、ひょっとしたら最初からこれは詐欺だって思っているんじゃないかな、それでも今この人に自分の話を聞き続けて貰えたら、だまされ続けてる振りをしてもいいって思うんじゃないのかしら。

ヘルパーさんにはお蔭様で週三回来てもらっています。
元気のいい明るいお嬢さんでね。台所仕事を手伝ってくれる姿を見ながら、もし私にも世間並みに
孫が出来ていたら、この位の年になっていたかしら。
こんな風に元気で、一生懸命家の仕事に精出す女の子になっていたかしら、
こんなお嬢さんに「御婆ちゃん、おはよう。遊びに来たよ」なんて気軽に訪ねて貰えたらどんなに嬉しい事か、ってふと思うことがあります。
土曜日の夕方、仕事を終えて「じゃ、また来週ね」、といって帰られる時、とても切ない。これが本当の孫だったら
「今日ぐらい泊まっていかんしょ、いいべしたぁ」なんて無理にでも引き止めたいところだけれども、お仕事なんだからそう言う訳にもいかない。
次にきてくれるのが、も、待ち遠しくなるんです。
あらあら、ごめんなさいね、泣いちゃったりして。貴男もお仕事だもんねぇ…。
でもたとえお仕事でも自分に関心持ってもらえるって私みたいな一人暮らしの年寄りにとっては一番嬉しいことなんです。
それじゃ、また。車で方々回るのも大変なんでしょ、気をつけて。ご苦労様、お世話様」

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

このブログにスピリチュアルと書いてありますが、本当はこの言葉好きではないんです。
なんだか現実から逃げるための便利な言葉に聞こえてならないですし(本当のスピリチュアルとはそうではないんですが…)、「自分らしく」なんて言葉も「自分さえよければそれでいい」と思っている方がなんと多いこと…

「当たり前のことを当たり前にすること」
泥臭くってかっこ悪く見えるかもしれませんが、それが生きているなによりの証なんじゃないかな?



| 2009.04.13 Monday (22:42) | ちょっといい話し | comments(0) | trackbacks(0) |
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